グローバル化と言うと、つい経済活動ばかりに注目してしまうが、経済を支えるインフラ(基盤)について考えさせる著作の邦訳が5月末に出た。日々のメディアの論調からはちょっと離れるが、検討してみたい。
世界の米軍基地問題を俯瞰するケント・カルダー著『米軍再編の政治学』がそれだ。カルダー氏は現在、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)のライシャワー東アジア研究センター所長を務める日本専門家だ。モンデール駐日米大使らの顧問も務めた経験があるから、本欄を読む方々はよくご存知だろう。
そのカルダー氏の近著だが、テーマは日本ではない。英語原題の副題となっている「比較基地政治学(カルダー氏の造語だろう)とアメリカのグローバリズム」だ。比較基地政治学とはなんだろうか。それと関連する「グローバリズム」とは何を指すのか。
カルダー氏が序文などで示唆する通り、資源(自然資源に限らず、人的資源も含めて、まさにresources全般である)の「円滑な移動」をグローバルに支えているのは、アメリカの海外軍事基地ネットワークだ。言い換えれば、アメリカ主導の自由貿易体制によるグローバル化は、世界中に基地を張り巡らせ、グローバルに展開する米軍が下支えしているということだ。
資源移動を支える軍事基地ネットワーク
その基礎は、約200年前に大英帝国が「七つの海を支配するため」築き挙げた軍事基地ネットワークによって形づくられたという。考えてみれば、いま中東から南アジアにかけて二つの戦争を戦い、核保有疑惑の国を牽制する米軍にとって世界戦略上最も重要な基地は、インド洋のど真ん中、インド亜大陸の南端からさらに南1600キロの海上に浮かぶ長さ60キロほどの環礁ディエゴ・ガルシアだ。これはナポレオン戦争で1814年に英国がフランスから奪って以来、英軍の基地となった。今は米軍が主力となっても英米が共同利用している。
大英帝国とは何か。誤解を恐れず、簡潔に言えば、世界に広がる英植民地を海で結んで維持された自由貿易体制である。大英帝国が滅びた後に、その自由貿易体制をさらに発展・深化させたのがアメリカだ。「両国とも、予測がつく透明な国際ルールが万事を支配し、貿易や国際投資が活発になるような、安定した開放的な国際秩序を望んでいた……世界的な基地ネットワークは、この必要不可欠な政治経済の未来像を支えている」(『米軍再編の政治学』p32)
もちろん、大英帝国も20世紀アメリカも、そんなきれいごとだけでは済まないとう反論はあるだろう。セポイの反乱での英軍の残虐行為や、ベトナム戦争での枯れ葉剤散布など米軍の非道を、世界は決して忘れない。だが、今日のグローバルな自由主義経済システムによる繁栄は英米主導でつくられてきたことも否定できない。そして、それを支えたのは、19世紀に七つの海を支配した英海軍と世界中の「前方駐屯地」であり、それを20世紀に入って引き継ぎ、広げたアメリカの海外基地群だ。
そこに日本が占める割合には驚かされる。カルダー氏の著書によれば、米軍の海外施設のうち日本の施設が占める割合は海兵隊で99%(沖縄に集中)、海軍で44%、空軍で33%である(資産価値ベース)。米軍全体として、恒常的施設の7%は日本にあるというから(同書p99)、米本土の州以上の貢献をしていることなろう。さらに、日本が出している受入国支援(HNS)の総額は、世界各国からメリカが受けている同支援総額の60%だというから(2002年、同書p286)、これもグローバルなコンテクストで見ると驚くべき数字だ。
日本はグローバル化する経済から恩恵を受けているから、その下支えとなっている米軍の世界展開を支えて当然ということなのだろうか。この状態がいつまで持続可能なのか。日本のグローバリズムとナショナリズムという観点から、しっかりとした将来展望が必要になろう。
6月末に邦訳が刊行された現カリフォルニア大バークリー校教授ロバート・ライシュの『暴走する資本主義』(Supercapital-ism)は、米軍の冷戦戦略による輸送・通信手段の革新的な発達が経済グローバル化を引き起こした「重要な要因」だ(邦訳同書p81)と、ここでも米軍とグローバル化の密接な関連が指摘されている。インターネットが軍事戦略の中から生まれ出たことはよく知られているが、情報ではなく実際の「物流」の革新をもたらしたコンテナ輸送は、ベトナム戦争で物資を運ぶため本格的に広く使われ出した。ベトナムへ物資を運んだ後、空のコンテナを戻す代わりに、日本に立ち寄って電化製品や時計を運び、太平洋貿易は飛躍的発展を遂げたという。
単なる下支えを越えた、軍事とグローバル化の深い絡み合いがのぞく。
そうした視点を持ちながらグローバル化についての日々の報道を見ていくと、また広がりが出てくるし、グローバル化の問題は単に経済にとどまらないことが分かってくる。
EU統合深化にNOを唱えたアイルランド国民
さて、6月のグローバル化にかかわるメディアの論調をのぞくと、大きな波紋を投げかけた出来事の一つは、アイルランド国民投票によるリスボン条約の否決だ。人口にして約四億人の欧州連合(EU)に大統領職を設けるなど、ヨーロッパの統合をさらに進めていこうとする条約が、人口四百万人のアイルランド国民によって葬りさられる事態になり、大騒ぎになった。来年一月を目指す条約発効には全加盟国(二十七カ国)の批准が必要だ。二〇〇五年にもEUは「欧州憲法」の批准に失敗している。この時はEU中核のフランスの国民投票で否決され、挫折した。今回は、その「憲法」を緩やかな条約に作り直したのだが、やはり挫折した。
論争はかまびすしい。フィナンシャル・タイムズのドイツ語版共同編集長などを務めたヴォルフガング・ミュンヒャウは16日付同紙のコラムで、アイルランドには厳しい選択肢しかないと警告する。二度目の国民投票を行い、なんとか否決をひっくり返すか、二度目もダメならEUの正式加盟国の地位を失うか、だという("Europe's hardball plan B for the Lisbon treaty" )。後者の場合は、アイルランドは「経済的暗黒時代」に逆戻りするだろうという。「ケルトの虎」と騒がれた、IT分野を軸とするアイルランド経済の急成長は、EU加盟のおかげではないか、というわけだ。
ほとんど、脅迫に近い言辞ではないか。それが大陸欧州の声であろう。独仏の大国意識が見え隠れする。
ところが、さすがFT紙である。その4日後の紙面では古参のコラムニスト、サミュエル・ブリタンが、アイルランドの条約否決に対する大陸欧州の過剰な反応を戒める論調を張っている(6月20日付同紙 "Why the Irish were right to say No" )。新条約は「米国では州レベルで行っているような決定事項を欧州連合(EU)本部に持っていく」ような条約は、欧州統合のビジョンとしては過ちでないかという。しかもEU官僚には、「欧州社会主義モデル」を固めていこうとする野心があるのではないかと疑問を呈する。独仏などが、そういうモデルを追求するなら、ご勝手にどうぞ、統合については「二段階速度ではなく、さらに多段階速度」で行くことになるのではないか、とブリタンはいう。
これはアングロ・サクソン的な自由主義の声だ。
たまたま、旅先のアイルランドで庶民の声を聞く機会があった。「たった70年前の独立で得た国としての権利が、今度はブリュッセルに持っていかれるのはがまんできない」。アイルランド人は何の事情も分からずノーと投票したといわれるが、そんなことはない。ちょうど独立したばかりのアメリカの各州が憲法制定で、州の権限を奪われるのに抵抗したのと同じだ。欧州官僚はあらためて、当時の論争を反映した『ザ・フェデラリスト』に目を通してみたらいい。
こんな論争をしている欧州に対し、アメリカの軍事力にただ乗りして安楽をむさぼっているようなものだとシンガポールの論客キショール・マフバニ氏が厳しく批判にしているのを先月のレポートで紹介した。それに対しFT誌の外交コラムニスト、ギデオン・ラッチマンが「スーパーパワーになるのは、荷が重く、血まみれの仕事だ」として、欧州は「極楽とんぼ」(irrelevantの意訳だが)で結構というコラムを書いた(5月20日付FT紙 "Irrelevance, Europe's logical choice" )。
これに対し、ネオコン論客で共和党大統領候補となるマケイン上院議員の外交政策顧問でもあるロバート・ケーガンが、統合問題で内向きになりながら、他のアメリカやアジアなど他の世界のプレーヤーたちを批判するのは得意な欧州は「ギリシャ悲劇のコロス(コーラス役)みたいなものだ」と皮肉っている。役者たちの動きを脇で説明はするが、ドラマの結末とは無関係、というわけだ(6月27日付インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙 "Sliding toward irrelevance" )。
6月はこの他、エネルギー・食料価格の高騰に起因するアジアでのインフレが、グローバル化した貿易を通じ世界へと広まっていくことへの懸念を示す記事が目立った(6月11日付ウォールストリート・ジャーナル "Inflation's Bite Worsens Around World," 6月13日付FT紙 "Stagflation, the latest Asian export" など)。












