OPINION

メディアはどう伝えているか Perspectives from the Media

グローバル化をめぐる世界の報道ぶりを、共同通信編集委員・会田弘継氏が分析します。

 

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グローバル化から降りられるか?

このひと月は、日本に関する興味深い記事が目についた。ニューズウィーク(アジア版)12月17日号は、闇社会のグローバル化の波に押されて国際化を図る日本のヤクザの姿を紹介した(“The Modernizing Mob”)。

日本のヤクザ組織は、不法移民の増加に伴って増える中国系やロシア系の組織暴力団の圧迫を受けているというイメージがマスコミによって伝えられるが、実態は逆だ。うまく協力しあい、棲み分けを行っている。日本のヤクザはむしろ世界の暴力団組織の中でも国際化のパイオニアだという。1960年代から売春ツアーや麻薬取引で東南アジアに進出し、最近ではロシアの暴力団と協力しロシア領海での違法操業による海産物の取引で儲ける。中央アジアのウズベキスタンから直行チャーター便で女性を日本に連れてきて売春させている。

こうしたヤクザ稼業の国際化・近代化で、「女子供を傷つけるな」といったような古いしきたりが忘れ去られつつある、というのは鋭い指摘だ。

同じ日付のタイム誌(アジア版)は、アメリカン・ドリームならぬジャパニーズ・ドリームを追いかけて大学留学や起業で日本をめざす中国の若者たちの姿を紹介している(“Chasing the Japanese Dream”)。ただ、彼らにとっての障壁は、日本の厳しい入国管理・移民政策だ。研修ビザで入国した外国人が劣悪な労働条件で働かされるケースが後を絶たないことも言及されている。

米二大ニュース週刊誌が期せずして同じ週に日本の国際化問題を別々の切り口で紹介した。そこで描き出されたのはちょっと歪んだグローバル化の中の日本だ。これらに、12月3日付ニューズウィーク(同)が描く、革新的技術の新商品を生み出せない日本の企業カルチャー(“Why Apple Isn’t Japanese”)を併せ読むと、ヤクザ社会を除いてはグローバル化にうまく向き合えない日本の姿が見えてくる。

外国人CEOが続々誕生

そうした日本と対照的なアメリカの姿を見せつけたのが、同国の巨大多国籍企業に次々と外国生まれのトップに次々と生まれているという12月13日付インターナショナル・ヘラルド・トリビュン紙の記事(“Globalization comes to U.S. executive suite”)だ。いまやフォーチュン誌のトップ100社番付の15社のトップが外国生まれ。15人目となったのは、サブプライム・ローン問題で揺れる金融大手シティグループの最高経営責任者に12月11日就任したビクラム・パンディット氏で、インド生まれだ。米巨大企業が1970−80年代に海外事業を広げていった際に雇った人々がトップに就く年代になったことと、米ビシネススクールに留学して巨大企業に入社した外国生まれがトップに就きだしたことが背景だと記事は指摘している。日本ではソニーのストリンガー社長が先鞭だが、まだまだアメリカのようにはいかない。ただ、トリビュン紙が写真で紹介しているトップたちを見る限り、英国、アイルランドをはじめ英語国か英語を公用語あるいは準公用語とする国(インドやエジプト)出身がほとんどのようだ。

グローバル化しているのはアメリカの企業トップ人事だけではない。12月12日付ワシントン・ポスト紙でコラムニスト、ハロルド・メイヤーソンが紹介する労働組合のグローバル化も示唆に富む(“Labor’s Global Push”)。企業がグローバル化するのにあわせて、労組もグローバル化していこうという動きがでている。大労組であるアメリカ鉄鋼労働者合同組合は英国の最大の製造業労働組合ユナイトと合併交渉中。また、世界最大の鉄鋼会社アルセロール・ミッタルの労働組合とも連携して、リベリアの鉄鉱石採掘場での組合結成を認めさせ、グローバルに展開する同社労働者にグローバルな安全衛生基準を適用させるようにした。

グローバル労働組合への動き

確かに、多国籍企業は労働基準の厳しいところから安易なところに工場を移転しがちで、これが先進国の産業空洞化現象と途上国のタコ部屋労働問題につながる。メイヤーソンのコラムの中でアメリカ鉄鋼労組のジェラード委員長が言うように、20世紀初めには一つの国の中で共通した労働基準を打ち立てるのが課題だった。一世紀後の今はグローバルな基準が必要なのかもしれない。少なくとも安全衛生についてはそうだろう。ただ、賃金となるとそうはいくまい。低賃金こそが途上国の比較優位の源泉だからだ。

このコラムで興味深いのは、労働運動のグローバル化にあたり指摘された、二つの大問題だ。一つは「共産主義国家」中国の労働者を国家支配のニセ労働組合から解放して、いかに本当の組合に組織化していくか。もう一つはアメリカ多国籍企業が世界中に持ち込もうとしているアメリカ型の「組合潰し」をどう阻止するか。このほどワシントン郊外でアメリカ労働総同盟・産業別組合会議(AFL-CIO)がホスト役となって開かれた「グローバル労働組合評議会」には、64カ国から労組代表が集まって、労働運動を一国内の活動からグローバルな運動に高めていく方途が話し合われたという。「万国の労働者よ、団結せよ」は共産主義のお題目ではなく、かつて世界の反共産主義労組の中核であったAFL-CIOも含めた西側労働団体のテーマとなった。

プーチン圧勝とチャベスの敗北

このひと月の国際政治ニュースで目を引いたのは、ロシア下院選でプーチン大統領率いる与党連合が圧勝し、プーチンは来年3月の大統領選での自分の後継候補としてメドベージェフ第一副首相を指名し院政を敷く体制を固めたことと、ベネズエラのチャベス大統領がプーチン同様に権力維持体制をつくるための憲法改正を国民投票にかけたところ、こちらは否決されるという対照的な結果が出たことだ。これらの政治ニュースの背景にも、グローバル化問題が潜んでいる。

プーチン、チャベスともに石油高騰の恩恵を受けて政治権力を固めてきた。12月3日付インターナショナル・ヘラルド・トリビュンのロジャー・コーエンのコラム「21世紀型革命の限界」(“The limits of 21st-century revolutions”)はグローバル化した世界の皮肉を描いて、興味深い。ブッシュ大統領のアメリカとチャベス大統領のベネズエラは犬猿の仲だ。にもかかわらず、アメリカによる石油輸入を軸に両国間の貿易は活況を呈している。原油高騰のお陰でベネズエラの対米輸出は今年370億ドルに達するというから、フランスの対米輸出に匹敵する。ベネズエラ側の輸入は100億ドル程度だ。チャベスはこの石油収入を用いて、国内ではばらまき政治により権力を固める一方、対外的にはイランやロシア、中国と結んで反米連合を形成している。

原油高騰の原因はアメリカのサブプライム・ローン(信用力の低い人向けの住宅ローン)の焦げ付きで投機資金が商品市場に一挙に流れ込んだためだというから、「風が吹けば桶屋」の論法でいけば、サブプライム問題がベネズエラの反米連合形成を助けているということになる。ところが、コーエンのコラムによれば、ベネズエラ国民はチャベスがブッシュを「悪魔」と呼んで反米を叫ぼうが、テレビでアメリカのNBAバスケットボールと大リーグ野球に夢中。米国大使館には米国行きビザを求める人が引きも切らず、商店街には米国ブランド商品が溢れているというありさまだ。

ロシアのプーチン大統領が「帝王」のような権力を固めたのも、石油資源の高騰のお陰だが、そのパターンはチャベスと似たようなものだ。ただ、チャベスほどには軽薄なレトリックを使ってアメリカとことを構えたりせず、もっと戦略的に動いている。それが、今回の下院選でのプーチン圧勝と、国民投票でのチャベス敗北の違いとなって表れたのだろう。

ベネズエラの例に典型的に見られるように、グローバリゼーションの経済的現実には政治家の力量が追いつきがたいところがある。そのギャップを埋めるために政治家はナショナリズム的言説を弄するというのが、ロジャー・コーエンの見立てだ。アメリカ自身も例外ではない。

グローバル化に見るコンラッド再訪

前号で詳述したグローバリゼーションに格差拡大問題については、12月3日付のパキスタンの有力英字紙ドーンで、同紙コラムニストのザハール・メフディが途上国の内側からの視点で取り上げている。同国では昨年だけでも51億ドル以上の直接投資が海外からもたらされ、この7年でパキスタン経済は倍に膨らんだ。国民一人あたりの年間所得も950ドルまで上がった。だが依然、9千万人は可処分所得が450ドル以下で、国民の4分の1が貧困ライン以下の生活だという。多くがグローバル化の恩恵が受けられないという途上国の現実だ。

ドイツの有力週刊誌ツァイトへのビーレフルト大教授ウィルヘルム・ハイトマイヤーの寄稿「道徳心失いつつ景気回復へ」は、ドイツがこの一年経済面で盛り返した中で、微妙な倫理観の変化が起きていると指摘し、グローバル経済の中での先進国市民の抱え込む問題を分析している。景気回復で失業率も改善したことから、一見、人々は失業者や外国人労働者を見下したりする態度をあらためている。しかし、気付いてみたら市場経済の原則を社会生活全般に当てはめる傾向が出てきた。つまり、「有用性や効率」といった市場経済の原則を社会生活にあてはめ、互いへの「共感や思いやり」のような原則を忘れだしている、と教授は言う。

日本もグローバル化に適応するための改革で景気回復を果たしているが、そこで起きているネガティブな社会現象には注意深く目を凝らすべきだろう。

この12月3日は、「近代化」(今日ではグローバリゼーションと呼ばれている)の問題に鋭く迫った作家ジョセフ・コンラッドの生誕から150年に当たった。英紙インデペンデントが同日付で、このポーランド生まれの英語作家の重要性にあらためて注意喚起しているのは、もっともだと思う(“Conrad, the literary outsider ignored by his adopted country”)。南北問題(当時は植民地問題)、テロ問題などの中で生きる近代人の苦悩を1世紀前にこれほど深くえぐり出して描いた作家はいなかったのではないか。

コンラッドの中編小説「闇の奥」はフランシス・コッポラ監督のベトナム戦争映画「地獄の黙示録」の下敷きになっただけではない。この記事には触れられていないが、村上春樹の新訳が最近出たスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」、そして村上の初期小説自体にも影響がうかがわれる、と文芸評論家、坪内祐三氏が近著で指摘している。いずれもが、前回のこのコラムで引用したフランシス・フクヤマが指摘する「近代化」の押しとどめようもない流れの中で、人々が失うものの物語といってよいだろう。コンラッドはグローバル化の課題を先取りしたような重要な作家といえる。

共同通信編集委員。東京外国語大学英米科卒。ジュネーブ支局長、ワシントン支局長などを歴任。著書に『戦争を始めるのは誰か——湾岸戦争とアメリカ議会』(講談社現代新書)、訳書にフランシス・フクヤマ『アメリカの終わり』(講談社)などがある。