OPINION

メディアはどう伝えているか Perspectives from the Media

グローバル化をめぐる世界の報道ぶりを、共同通信編集委員・会田弘継氏が分析します。

 

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格差は広がっているか

米国のサブプライム問題に起因する世界的な金融不安、行き場を失った投機マネーの流入による石油価格高騰、パキスタンの政情不安から来る核兵器と国際テロの交差への懸念・・・グローバル化した世界を、人々はあらためて懸念のまなざしで見つめている。それを制御できないもどかしさを感じている。

グローバル化をめぐる世界のさまざまな論調、言説。それは、ますます一体化していく世界が、これからどう歩み、どこに向かうのかを示唆してくれる。グローバル化の弊害への取り組みにヒントを与えてもくれる。そうした論調、言説を追っていく。

「近代問題」としての「グローバル化」

グローバル化というと経済のことばかりを考えがちだ。そうではなく、ずっと大きな問題であることを教えてくれるのは、米国の政治学者フランシス・フクヤマがこの10月22日に京都・同志社大で行った講演だ。彼は著書『歴史の終わり』以来、冷戦後世界にスケールの大きな議論を提示し続けてきた。この講演もそうだ。

フクヤマはあらためて、『歴史の終わり』の主張について一部の人々の誤解をただしながら、次のように説いた。

−−人類社会の一貫した「近代化プロセス」は、もはや「事実として議論の余地がない」。近代化により伝統的な価値観など、人々が大切に思っていたものが失われるのは否定できない。しかし、近代社会を享受しながら古い時代にノスタルジアを持つ人はいても、あえて前近代段階の途上国に行って、前近代的生活に入る人はまれだ。一方で途上国から近代化が進んだ米欧日へ移り住もうとする人は何百万といる。

−−そうした必然的な流れである近代化が進んで最後に共産主義が訪れると考えたのはマルクスだ。私はそうではなくリベラルな民主主義が来ると考えた。近代化を進めるには必ず、市民に対し説明責任を負う政治制度が必要になるからだ。

つまり、リベラルな民主主義(政教分離、言論・結社の自由など)は近代化プロセスの必然だという主張である。フクヤマは、世界に波紋を広げた中国の食品汚染を挙げ、この問題は製造者たちが中国共産党に対してのみ「説明責任」を感じている(アップワード・アカウンタビリティ)なら解決しない、消費者市民に説明責任を感ずる(ダウンワード・アカウンタビリティ)なら解決し、中国人はさらに近代的生活(その一要因は衛生的生活であろう)に向け前進していく、と説いた。

世界の国々は「似たようなプロセス」を歩んで近代化していく。そこには「普遍的な価値観」が存在するからだ、とフクヤマは言う。彼のいう「近代化」こそ、いまわれわれが問題にする「グローバル化」に他ならないだろう。つまり、西欧で生まれて、日米などに広まっていった工業化と民主化の漸進が近代化だ。冷戦後に、そのスピードが急激に速まり、深度も深まって「グローバリゼーション」と呼ばれるようになった。つまり、今われわれが直面しているのは「近代問題」と同質だと考えていいだろう。

フクヤマは講演で、グローバル化した世界はこれから4つの大きな問題に直面すると指摘した。(1)政治的イスラムの台頭(2)国際レベルにおける民主主義の欠如(3)貧困(4)技術革新—だという。

過激イスラム主義の問題は、世界の近代化過程がどこでも(西欧や米国、日本も含め)直面した「反近代主義」が、国内レベルからグローバルなレベルに移行したものだ。フクヤマが挙げた(2)と(3)はグローバル化した近代問題の典型だ。ある国で起きた金利政策あるいは技術革新が、地球の反対側に暮らす人々の運命を変えてしまうことがある。だが、それをうまくコントロールする仕組みができていない。経済グローバル化で国家主権が崩れているだけでなく、破綻国家も数多く出現している。アフリカのサハラ以南、アフガニスタンなどがそうで、世界中にはびこる麻薬・銃器などがそうした国になだれ込んで一層の政治的衰弱をもたらしている。そこに、すさまじいまでの貧困が生じている。

フクヤマの論議はまだまだ面白いところがたくさんあるのだが(なぜ「技術革新」がグローバルな「未来の脅威」なのかも含め)、本欄の目的である他の論調の考察のため、このへんで切り上げる。

広がり始めた格差論議

こうした洞察を背景にして最近の論調を見ると、まずニューズウィーク11月12日号(アジア版)が世界中で起きている格差社会の問題を取り上げている(Special Report ”Split by Decision”)。所得分配の不平等を示すジニ係数(1が最大級の格差社会)を見ると、中国は0・5以上で米国の0・46を超えたという。グローバル経済の仕組みの中では、「上位10−20%(の上位所得者)が教育レベル、職能、人脈でどんどんと他を引き離していく」と経済学者ロバート・ライシュがコメントしている。労働者の3分の1が派遣やパートタイマーで、格差が広がる日本も取り上げられている。

注意を払いたいのはグリーンスパン前FRB議長が激しい格差に対し、批判的な目を向けコメントしていることだ。資本主義は大きく発展しているのに、格差拡大のため人々は不安を感じ「資本主義をまだ十全な制度と感じることができない」という。

グリーンスパンと言えば、若き日には作家・思想家アイン・ランドに心酔したというほどのリバタリアン(自由至上主義者)だ。年をとってからは思想傾向を少しは変えたかもしれないが、FRB議長時代にも貿易を阻害しかねない米政府の反ダンピング措置を真っ向から批判するなど、自由市場経済への信奉は強かった。その彼でさえ懸念する格差社会というのだから、深刻な問題だ。

少し古い論文だが、フォーリン・アフェアーズ7・8月号で、イェール大のケネス・シーブ、ダートマス大のマシュー・スローター教授は、米国では2000年から05年に実質所得が増えたのは大学院教育を受けた専門職だけで、労働人口の4%に満たず、グローバル化した経済の中で格差が深刻になっており、保護主義の高まりを防ぐために新たな所得再配分政策が必要だと訴えていた(“A New Deal for Globalization”)。

こうした格差社会は、グローバルな枠組みでも懸念されている。フォーリン・ポリシー11・12月号は毎年恒例の世界各国のグローバル化度の比較を掲載している(The Globalization Index)。世界のGDPの97%を占める72カ国で、政策の開放度やヒト、モノ、カネの動きを比べ、「グローバル指標」で世界一はシンガポール。米国は7位で、日本はブルガリアの次の28位。同誌もグローバル化進展の一方で、多国間の津波警報システムさえ持たずに30万人以上の津波犠牲者を出したインド洋周辺のように、グローバル化から取り残される地域があることを懸念している。米国の保護主義ムードの中で、米国人雇用優先を求める法律のため直接投資の流入が減っていることにも心配している。

「グローバリゼーションは否定できない現実だが、その脆弱さを過小評価していないか」(アナン前国連事務総長)という言葉を、噛みしめてみる必要があろう。

共同通信編集委員。東京外国語大学英米科卒。ジュネーブ支局長、ワシントン支局長などを歴任。著書に『戦争を始めるのは誰か——湾岸戦争とアメリカ議会』(講談社現代新書)、訳書にフランシス・フクヤマ『アメリカの終わり』(講談社)などがある。